
現代の私たちは、Wi-Fiが少し不安定なだけで不機嫌になる。スマホの動画が数秒止まるだけで「障害か?」とSNSを騒がせる。
しかし今この瞬間、あなたのデバイスに届いている「当たり前のパケット」の裏側に、かつて文字通り身体を張った技術者たちがいたことを知る人は多くない。
「日本初のインターネット相互接続点は、岩波書店の本社ビルの地下でした」
そこでは、年に一度の停電からネットを守るために隣のビルから電源を「盗んででも繋ぎ止めた」執念や、海外との交渉を有利に進めるために「忍者のコスプレ」で国際会議に乗り込んだという、嘘のような実話が繰り広げられていた。
この記事でわかること
- 日本初のIXがなぜ「岩波書店の地下」に置かれたのか
- 法定停電を乗り越えた「隣ビルからの電源確保作戦」の全貌
- 国際交渉を制するために「忍者コスプレ」で世界に乗り込んだ理由
1. 岩波書店の地下から始まった、日本のIX(相互接続点)
📌 要点:1994年、日本初のIXが産声を上げた。設置場所が「岩波書店の地下」になったのは、担当研究者の人脈があったからという極めて人間的な理由だった。

1994年、日本のインターネット史において最も重要なインフラが生まれた。IX(Internet Exchange:インターネット相互接続点)だ。
個別に回線を引っ張り合っていたプロバイダー各社を一箇所に集約し、自在に接続を組み替えられる「ハブ」の役割を果たす施設。これがIXの正体だ。
なぜ設置場所が「岩波書店」だったのか。当時のプロジェクト責任者が研究者たちに「顔が利いたから」という、なんとも人間味あふれる理由だ。岩波書店といえばデジタル化に慎重なイメージを持たれることもあるが、実際は日本のインターネットの「心臓部」を地下室で守り続けた最大の功労者の一つだ。
ただし、この「学術の聖地」には最大のリスクが潜んでいた。
2. 停電は許されない!隣のビルから電源確保の決死劇
📌 要点:岩波書店は法定点検で年に一度、全館停電が発生する。インターネットの心臓部であるルーターを止めることは不可能。そこで技術者たちは隣のビルから電源を引っ張るという強引な解決策を実行した。
大きなビルは法律で年に一度、電気設備の点検のため全電源を落とさなければならない。通常のテナントなら問題ない。しかしIXのルーターを止めることは、接続している何十ものプロバイダー、その先にいる数百万人のユーザーの通信を一斉に遮断することを意味する。
停電の日程が決まった瞬間から、技術者たちは動き出した。隣のビルから電源を引っ張り、ルーターだけは絶対に落とさないようにする──正直、現代のデータセンターでこれをやったらセキュリティ規約違反で即クビだろう。しかし当時は「ルールを守って通信を止める」ことより「ルールを逸脱してでも繋ぎ続ける」ことの方が未来のために重要だと信じられていた。
情シスの仕事を20年以上やってきて思うのは、インフラを死守する技術者の「これだけは落とさない」という執念は、時代が変わっても変わらないということだ。手段は違えど、その感覚は今も現場のエンジニアたちの中に生きている。
3. 「メンテナンス入りまーす」日本的なしきたりが壁に
📌 要点:対面重視・丁寧な事前通知という日本のビジネス文化が、スピードと合理性を重んじる海外事業者には「コミュニケーション・ヘビー」として敬遠された。文化の摩擦が接続交渉を妨げていた。
技術的な問題だけでなく、人間同士の「外交」でも日本の技術者たちは苦労した。アメリカの巨大通信会社とのピアリング(対等接続)交渉において、日本独自のしきたりが裏目に出ることがあった。
当時の日本企業には「接続する前に直接顔を合わせて打ち合わせを」という慣習が強くあった。しかしスピードと合理性を重んじる海外勢からすれば、これは「コミュニケーション・ヘビー(負担が重い)」だ。わざわざ日本まで会いに来るのかという話になる。
さらに、接続後も「これからメンテナンスに入ります」「終わりました」という丁寧な定型文メールを頻繁に送る行為も、海外技術者からは「いらないメッセージがいっぱい来る」と敬遠された。良かれと思った「おもてなし」が、デジタルのスピード感の中では「ノイズ」として扱われた苦い歴史だ。
4. 70年代ディスコに忍者参上!コスプレで掴んだ世界との信頼
📌 要点:世界的なピアリング機関の国際イベントで、日本の技術者・富山氏は忍者コスプレで参加。その圧倒的な存在感で世界のトップエンジニアたちの懐に飛び込み、信頼を勝ち取った。

「コミュニケーション・ヘビー」で「堅苦しい」というイメージを打破するために、日本の技術者たちが取った戦略が「コスプレ」だった。
世界的なピアリング機関のイベント(GPF)では、書面では出てこない生きた情報交換と、いかに顔を覚えられ信頼を勝ち取るかという「人間力」が最も重要視される。技術力だけでは通用しない場だ。
あるイベントのドレスコードは「70年代ディスコ風」だった。しかし日本人技術者の富山氏は、あえて「忍者のコスプレ」で乗り込んだ。アフロヘアやサイケデリックな格好の西洋人の中に突如現れた謎の忍者。「忍忍」スタイルで会場の注目を独占し、「あの忍者、面白いじゃないか。話を聞いてみよう」と、世界のトップエンジニアたちの懐に飛び込んでいった。
最先端のネットワーク技術を世界と繋ぐために、最後は「身体を張った外交」とユーモアが必要だった。インターネットを繋ぐ物はケーブルだが、ケーブルを繋ぐのは人間だ。この事実は、今も変わっていない。
よくある質問
- QIXとは何ですか?今も岩波書店に存在しますか?
- A
IX(インターネット相互接続点)は、複数の独立したネットワーク(AS)が物理的に接続・データ交換する施設です。岩波書店地下の初期IXは1990年代前半のもので、現在は東京・大阪を中心に専用データセンター内に整備されています(JPIX、BBIX、Equinixなど)。
- QGPF(Global Peering Forum)とはどんなイベントですか?
- A
ネットワーク事業者・ISP・コンテンツプロバイダーなど、インターネット相互接続に関わる関係者が集まる国際会議です。技術的な標準化よりも、事業者間の関係構築や非公式な情報交換が目的であることが多いです。
- Q現在の日本のIXはどこにありますか?
- A
主要なIXは東京と大阪に集中していましたが、2011年の東日本大震災後、リスク分散のため福岡・広島・札幌などへの分散化が進んでいます。
JPIX(Japan Internet Exchange)が代表的な国内IXです。
- Qピアリング交渉は今も人間が行うのですか?
- A
技術的な接続設定は自動化が進んでいますが、商業的なピアリングポリシーの合意は今も担当者間の交渉で行われます。
大規模なIXでは「ピアリングポータル」と呼ばれる申請システムがありますが、最終的な判断は人間が行います。
- Q「ピアリング戦記」とは何ですか?
- A
日本のインターネット黎明期にピアリング交渉の最前線に立った技術者・石田慶樹氏らが記録した、日本のIX発展史のドキュメントです。
技術書でありながら人間ドラマの記録として、IT史に関心のある方に広く読まれています。
まとめ:インターネットを繋いでいるのはケーブルではなく人間の執念だ
- 日本初のIXは岩波書店の地下にあり、法定停電時には隣のビルから電源を引いてルーターを死守した
- 日本的な「対面重視・丁寧すぎる通知」が海外事業者には「コミュニケーション・ヘビー」として敬遠された苦い歴史があった
- 言葉と文化の壁を突破するため、国際会議に「忍者」で乗り込むという身体を張った外交が不可欠だった
- 技術の裏側には、こうした人間ドラマが積み重なっている。今私たちが享受する「速さ」はその勝利の記録だ
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