「全てのサイトで異なる、複雑なパスワードを設定してください」
「怪しいメールのURLは、ドメインを一文字ずつ細かくチェックしましょう」
耳にタコができるほど聞かされてきたこれらの助言。しかし、正直に胸に手を当てて考えてみてください。「そんなの、人間には無理だ!」と叫びたくなったことはありませんか? 実はその直感、正しいんです。私たちが感じている「無理」は、努力不足のせいではなく、そもそも今のセキュリティの仕組みが「人間の脳のスペック」を完全に無視しているからに他なりません。
「感染は社会の問題なのに個人の責務に負わされてさ、魔女狩りと一緒だなぁということがあったわけですけど、……データの漏洩も実はその企業のせいじゃなくて社会のせいなんじゃないか」
ゆるコンピュータ科学ラジオで堀本氏が鋭く指摘したこの視点は、現代のセキュリティ観を根底から覆します。今回は、ホワイトハウスへの提言も行う専門家の著書『データセキュリティ法の迷走』をベースに、従来の「個人の注意力を責める」対策の限界と、私たちが今日から実践できる「賢い割り切り術」について紐解きます。
今回の配信内容🎧
- データ漏洩の責任は個人ではなく社会にある? パンデミックと「魔女狩り」の共通点。
- URLチェックはもはや限界。フィッシング詐欺を防ぐ「相互認証」という逆転の発想。
- パスワード使い回しの戦略的解禁。Googleなどの最重要拠点だけを死守する割り切り術。
- 企業の不祥事を防ぐのは「罰金」ではなく「保健所」? 事前指導型の法整備が不可欠な理由。
データ漏洩は「社会の問題」? 魔女狩りをやめて仕組みを変える
情報セキュリティの問題が発生すると、世間は一斉にその企業や、騙された個人を「不注意だ」「意識が低い」と厳しく叩きます。しかし、これはパンデミック初期に感染者が責められた状況と酷似しています。感染を個人の不始末と捉える「魔女狩り」は、本質的な解決を遠ざけるだけです。
『データセキュリティ法の迷走』(軽装書房)の著者は、データの漏洩を個別の不始末ではなく「公衆衛生」のような社会全体の構造的課題として捉え直すべきだと説いています。本書は専門書でありながら、ユーモラスな1コマ漫画が多数挿入されており、非常に親しみやすく読めるのが特徴です。
ぶっちゃけ、どれだけ気をつけていても人間はミスをします。注意力が足りないと個人を責めるのは、堤防が壊れた時に「水に勢いがありすぎたのが悪い」と言っているようなものです。本当に必要なのは、水が溢れても被害を最小限に抑える「設計」なのです。個人の気合で守る精神論から脱却し、社会全体の仕組みをアップデートする。これこそが、私たちが目指すべき新しいセキュリティの形です。
フィッシング詐欺に「URLチェック」は無意味? 解決の鍵は銀行を疑うこと
フィッシング詐欺への従来の対策は、常に「URLをよく確認しましょう」というものでした。しかし、これほど無責任なアドバイスもありません。プロが精巧に作り上げた偽サイトのドメインを、一般のユーザーが日常の忙しさの中で見極めるのは、もはや超能力を求めているようなものです。
そこで提唱されているのが「2社間認証(相互認証)」という画期的な考え方です。
現在のシステムは、銀行などのサービス側が私たちを「本物か?」と疑う仕組みばかりですが、私たちがサービス側を「このサイトは本物か?」と疑い、確認する仕組みが決定的に欠けています。
具体的な解決策として、「口座開設時に自分だけが知っている写真(例えば、愛する飼い猫の一枚など)を送り、ログイン時にその画像が表示されれば本物と判断する」という方法があります。これなら、偽サイト側はあなた固有の画像を表示できないため、どんなにURLが本物らしくても一発で見破れます。
「僕のパスワードは素晴らしいから君に教えてあげるね」と冗談を言えるような余裕を持つためには、ユーザーに超人的な注意力を強いるのではなく、システム側が「私は本物です」と証明する義務を負うべきなのです。この仕組みが普及するまでは、私たちはブックマークや公式アプリから入るといった「自分から本物の入り口を叩きにいく」自衛習慣を持つことが、最も確実な防衛策となります。
「パスワードの使い回し」を戦略的に許容する。最重要拠点だけを“無敵”にする生存戦略
「全てのサービスで異なるパスワードを記憶せよ」という指導は、人間の脳のスペックを完全に無視した理想論です。私たちの脳は、数十個ものランダムな文字列を保存し続けるようには設計されていません。堀本氏が感銘を受けた本書のメッセージは、極めて「リアリスティック(現実的)」な解決策の提示にあります。
「良いセキュリティとは良い子育てと同じ。親はついあれこれと文句を言いたくなるが、気になることを全て改めさせることはできない。……完璧は善の敵になる」
提案されているのは、守るべき拠点の「優先順位」を明確につけることです。
具体的には、メールアドレスやSNSなどの「人権」や「財産」に直結する最重要拠点(Googleアカウント、メインの銀行など)だけは、絶対に他では使わない強力なパスワードを設定し、二段階認証をかけ、鉄壁に守り抜く。
その一方で、万が一情報が漏洩しても人生へのダメージが少ない、小さなウェブサービスやポイントサイトなどについては、パスワードの使い回しを戦略的に許容する、という割り切りです。正直なところ、理想はパスワード管理ソフトを使いこなすことですが、それがハードルになってセキュリティ自体を諦めてしまうくらいなら、本丸だけを200点で守り、他は60点で済ませる方が遥かに安全です。完璧主義を捨て、大事な場所だけを無敵にする。これが現代の賢い生存戦略となります。
大企業の漏洩を防ぐ「保健所モデル」。事後罰金から事前指導へ
2013年に米国で起きたターゲット社の7000万人規模のデータ漏洩事件は、セキュリティ業界に激震を走らせました。同社は年間数億ドルの予算をセキュリティに投じていましたが、それでも漏洩は防げませんでした。原因は、外注先の空調管理会社の社員が感染したPCで、ターゲット社の決済システムにアクセスしたこと。
これは一企業の努力では防ぎきれない、現代のサプライチェーンのリスクを象徴しています。あなたのスマホが乗っ取られれば、そこから職場のネットワークが汚染される。一人の隙が全体の毒になる構造がそこにはあります。これに対し、著者は「保健所」のような事前指導型の規制を提案しています。
「保健所ってさ、事前に感染防止策やってるかどうか、飲食店に指導に来てくれるわけじゃん。問題が起こった時に来るんじゃなくて開業前に来るよね」
飲食店がオープン前に衛生チェックを受けるように、ウェブサービスも公開前に専門機関の監査を受ける仕組み。不祥事が起きてから多額の罰金を課す「事後罰則」だけでは、失われたデータは戻ってきません。労働基準監督署が定期的に監査を行うように、セキュリティも社会的なインフラとして行政が「事前指導」で守る。そんな法整備こそが、大企業の、そして私たちのデータを守る真の防波堤になるはずです。
まとめ:「完璧なセキュリティ」という呪縛を捨てよう
この記事をまとめると…
- 従来の「個人の注意力頼み」の対策は限界であり、データ漏洩は公衆衛生と同じ社会の構造問題である。
- ユーザー側がサービスを認証する「相互認証」の仕組みこそが、フィッシング詐欺に対する現実的な解となる。
- 全てのパスワードを別管理するのは不可能。Google等の最重要拠点のみを死守し、他は使い回す「賢い割り切り」が有効。
- 大企業の漏洩対策には、事後の罰則よりも「保健所」のような事前監査と指導の法制化が必要である。

「完璧に守らなきゃ」という呪縛から、今すぐ自分を解き放ちましょう。全ての戸締まりを完璧にしようとして家から一歩も出られなくなるより、金庫の鍵だけを絶対に無くさないようにする。その「人間を責めない」考え方が、あなたのデジタルライフをより安全で、そして何より心地よいものに変えてくれるはずです。
配信元情報
番組名:ゆるコンピュータ科学ラジオ
タイトル:パスワード管理ムズすぎ。セキュリティの専門家が考える対策は?#116
配信日:2024-03-17


