「匿名アカウントを使っているから、身元なんてバレるはずがない」
もしあなたがそう信じているなら、今すぐその認識をアップデートする必要があるかもしれません。実はインターネットの構造そのものを紐解くと、そこには「完全な匿名性」など最初から用意されていなかったことがわかります。
「このインターネット通信を可能にした革命的なアイデアによって、原理的に匿名性はなくなってしまったと言えますね」
ゆるコンピュータ科学ラジオでそう語られる、ネット通信の「宿命」。私たちがSNSで呟くときも、ネットショップで買い物をするときも、データの一つひとつには否応なしに「送り主」と「送り先」が記された剥き出しの送り状が張り付いています。
本記事では、その匿名性の限界をマトリョーシカのようなトリックで突破する技術「Tor(トーア)」の仕組みを徹底解説。えちえちショップの宅配便という強烈な例え話から、ネットの深淵を支える匿名通信の裏側に迫ります。
今回の配信内容🎧
- インターネットは「送り状」が必須の仕組み。なぜIPアドレスから逃れられないのか?
- HTTPSで暗号化しても「えちえちショップ」の袋からは中身が漏れている?
- 複数の運送業者をハシゴする? Torが誇る「マトリョーシカ型」多層暗号のトリック。
- 匿名性の代償は「むっちゃ遅い」。Torが抱える実用上のジレンマと光と影。
インターネットに「匿名性」がない根本的な理由
私たちが「匿名」だと思い込んでいるネットの世界において、なぜ簡単に足がついてしまうのか。その鍵を握るのが「IPアドレス」という、インターネット上の住所です。
現代のインターネットを支えているのは「パケット交換方式」という仕組みです。あなたがメールを送ったり、画像をアップロードしたりするとき、そのデータは「パケット」と呼ばれる細切れの小包になります。そして、このすべてのパケットには、インターネット通信のルールとして、必ず「送り状」を貼らなければならないと決まっているのです。
ここが重要です。ネットに接続されているすべての機器、例えばPC、スマホ、さらには加湿器などのIoTデバイスに至るまで、このIPアドレスという住所を持っています。パケットが迷子にならずに目的地に届くためには、送り状に「送り主(あなたの住所)」と「送り先(サイトの住所)」を明記することが、システム上の大前提なのです。
つまり、ネットを利用している以上、あなたは常に「自分の住所が書かれた封筒」を世界中にばら撒いているようなもの。この革命的な通信方式の誕生こそが、同時に「インターネットから原理的に匿名性を奪い去った瞬間」でもあったのです。
「暗号化」をしてもバレる? えちえちショップの例え
「でも、今はHTTPSで暗号化されているから、中身は見られないはずでしょ?」
そんな反論が聞こえてきそうです。確かに、今の通信の多くは暗号化されており、第三者が通信内容を盗み見ることは困難です。しかし、ここで落とし穴があります。暗号化されるのは、あくまでパケットの「中身」だけであって、外側の「送り状」は暗号化できないという事実です。
このもどかしい状況を、堀元氏は「えちえちショップの宅配便」という、一度聞いたら忘れない例えで解説します。
「厳重なアタッシュケースで南京錠付きで保護されていますと。でも送り状にはえちえちショップって書いちゃってる。これが現代のインターネット通信なわけですよ」
想像してみてください。中身がどんなに強固な金庫に入っていようとも、運送業者は送り状を見て「ああ、この水野さんという人は、えちえちショップから荷物を受け取ったんだな」という事実は筒抜けです。暗号化技術は中身を守りますが、通信の経路、つまり「誰が、いつ、どこのサイトにアクセスしたか」というメタデータまでは隠せません。送り状まで暗号化してしまうと、中継するルーターが「次にどこへ運べばいいか」わからず、通信が止まってしまうからです。
匿名通信「Tor(トーア)」の魔法。マトリョーシカのトリック
この「隠せないはずの送り状」を、構造的に隠そうとする執念の技術こそが、Tor(The Onion Router:ザ・オニオン・ルーター)です。
その発想は、まさに逆転の発想。「ヤマトと佐川をダブルで噛ませたら全貌分かるやついなくなるんじゃね」という、中継業者を複数ハシゴさせる作戦です。
Torの仕組みは、その名の通り「玉ねぎ(Onion)」のように、あるいはロシアの民芸品「マトリョーシカ」のように暗号を何重にも重ねることで実現されています。そのプロセスを分解してみましょう。
- 第1の層(内側): まず、最終目的地への送り状を書き、一番最後の運送業者の鍵で閉じます。
- 第2の層(外側): その箱をさらに「一つ前の業者から最後の業者へ」という送り状とともに、手前の業者の鍵で閉じます。
こうして何層にもパッキングされたデータを、世界中に点在するボランティアのサーバー(ノード)がリレーしていきます。
最初の業者は、一番外側の箱を開けて「次は佐川に送ればいいんだな」とはわかりますが、その中身(最終受取人)はわかりません。最後の業者は「この人に届けろ」という宛先はわかりますが、そもそもこの荷物を最初に出したのが誰なのかはわかりません。
「悪いことする人ってさ、間に中継する人を増やすことによって追尾できなくするっていうのを基本の動きとしてるんだよね」
各地点が「一つ前」と「一つ先」の情報しか持たないように設計することで、通信の全貌を把握できる人間を世界から一人もいなくさせる。この構造的な匿名性こそが、Torが誇る鉄壁の防御なのです。
匿名性の代償と「むっちゃ遅い」の真実
これほど完璧に見えるTorですが、実際に使ってみると誰もが直面する壁があります。それは、通信速度が絶望的に遅いことです。
「匿名通信、僕初めて今回使ってみたんだけど実際むっちゃ遅いの」
通常の通信であれば、あなたのPCから目的のサーバーまで一直線に進みます。しかし、Torはマトリョーシカの鍵を順番に開け、世界中のサーバーを複雑に迂回しながら進みます。地球を何周もするような遠回りを強いられ、さらに多層の暗号化を解除する処理負荷がかかるため、YouTubeを快適に見るなんていうのは到底不可能です。
数ページ前のニュースサイトを開くのにも数秒待つ。あの「2000年代初頭のネット」のようなもどかしさが、鉄壁の匿名性を手に入れるための代償です。
また、Torには「あだ名(.onionドメイン)」の仕組みがあります。受取人の住所(IPアドレス)すら隠すために、専用のハッシュ化された名前を使い、最後の運送業者だけがその正体を知っている。これにより、送り手に住所を教えなくても荷物が届くという、プライバシーの極地が実現されています。
Torの光と影:なぜこの技術が必要なのか
これを聞くと「犯罪者のための技術じゃないか」と思うかもしれません。確かに、匿名性の高さゆえに、いわゆる「ダークウェブ」での違法取引に利用されることもあります。しかし、Torには重要な「光」の側面が存在します。
例えば、独裁的な政権下で検閲が厳しく、SNSでの発言が命取りになる国の市民にとって、Torは自由な発言を可能にする唯一の窓口です。あるいは、企業の不正を告発する内部告発者が、自身の身元を守りながら正義を貫くための盾にもなります。
プライバシーは、後ろめたいことがある人だけのものではありません。自分の思考や行動の軌跡を、誰にも、そして巨大なプラットフォームにも監視されない権利。Torは、そんな現代ネット社会が忘れかけている「プライバシーという人権」を守るための、最後の砦のような技術なのです。
まとめ:送り状の呪縛から逃れるために
この記事をまとめると…
- インターネットは「パケット」に送り状を貼る仕組みであるため、原理的に完全な匿名性はない。
- 通常の暗号化(HTTPS)は中身を保護するが、「誰と誰が通信しているか」という経路(送り状)は隠せない。
- 匿名通信「Tor」は、マトリョーシカのように暗号を重ね、複数の中継点を通ることで経路を断片化する。
- 各中継点は「前後」の情報しか知らないため、全貌を特定するコストを極限まで高めている。
- 鉄壁の匿名性と引き換えに、通信速度が劇的に犠牲になるという実用上の弱点を持つ。

「匿名」という言葉の裏側にある、複雑でスリリングな技術の攻防。普段何気なく使っているブラウザの裏側で、あなたのデータがどんな送り状を背負って旅をしているのか。そんな想像をしてみるだけで、ネットを見る目が少し変わってくるのではないでしょうか。
便利さと引き換えに差し出したプライバシーの価値を、私たちはもう一度考えてみる必要があるのかもしれません。
配信元情報
番組名:ゆるコンピュータ科学ラジオ
タイトル:匿名通信「Tor」の仕組みを徹底解説!#159
配信日:2025-01-19


