現代の私たちは、カフェのWi-Fiが少し不安定なだけで不機嫌になり、スマホの動画が数秒止まっただけで「通信障害か?」とSNSを騒がせます。しかし、今この瞬間、あなたのデバイスに届いている「当たり前のパケット」の裏側に、かつて文字通り身体を張り、なりふり構わぬ泥臭い努力で道を切り拓いた技術者たちがいたことを知る人は、そう多くありません。
「日本初のインターネット相互接続点は、岩波書店の本社ビルの下でした」
そう語られる通り、日本のインターネット史における「聖地」は、意外にも学術・出版の殿堂「岩波書店」の地下にありました。そこでは、年に一度の停電からネットを守るために隣のビルから電源を文字通り「盗んででも繋ぎ止めた」執念や、海外勢との交渉を有利に進めるために「忍者のコスプレ」で国際会議に乗り込んだという、嘘のような実話が繰り広げられていたのです。
これは、マニュアルも前例もない時代に「正解」を自ら作りに行った人たちの記録です。今の時代、効率化の名の下に失われつつある「身体を張った信頼構築」のヒントがここにあります。今回は、名著『ピアリング戦記』から、日本のネット黎明期を支えた技術者たちの泣ける苦労と、驚愕の外交戦略を紐解きます。
今回の配信内容🎧
- 日本初の相互接続点(IX)が、なぜ「知の拠点」岩波書店の地下に置かれたのか。
- 「ルーターだけは落とさない!」全館停電という絶望を乗り越えた、伝説の電源確保作戦。
- 丁寧さが裏目に? 日本の「しきたり」が海外勢に敬遠された「コミュニケーション・ヘビー」な歴史。
- 70年代ディスコに忍者が参上。言葉の壁を越えて世界と接続するための「コスプレ外交」。
岩波書店の地下から始まった、日本のIX(相互接続点)
1994年、日本のインターネット史において最も重要なインフラが産声を上げました。それがIX(Internet Exchange:インターネット相互接続点)です。
インターネットは独立したネットワーク(AS)の集合体ですが、以前はプロバイダー各社が個別に回線を引っ張り合っており、非常に非効率でした。これを一箇所に集約し、パズルのように自在に接続を組み替えられる「ハブ」の役割を果たすのがIXです。
なぜその設置場所が「岩波書店」だったのか。
それは、当時のプロジェクト責任者が研究者たちに「顔が利いたから」という、なんとも人間味あふれる理由でした。岩波書店といえば、現在はデジタル化に慎重なイメージを持たれることもありますが、実は日本のインターネットの「心臓」を地下室で守り続けた、最大の功労者の一つなのです。
しかし、この「学術の聖地」には、インターネットインフラを運用する上で最大のリスクが潜んでいました。
【泣ける努力1】停電は許されない!隣のビルから電源確保の決死劇
岩波書店の地下を間借りして始まったIXですが、そこにはビル管理上の避けられない壁がありました。それが「法定点検による全館停電」です。
大きなビルは法律で年に一度、電気設備の点検のために全ての電源を落とさなければなりません。しかし、インターネットの心臓部であるルーターやスイッチングハブを止めることは、そこに接続している何十ものプロバイダー、そしてその先にいる数百万人のユーザーの通信を一斉に遮断することを意味します。いわば「ネットの終焉」を告げるお祭り状態です。
「何か月何日停電あるらしいよってなった瞬間から、もう技術者たち慌てて、隣のビルとかから電源引っ張ってきてなんとかルーターだけは落とさないようにする」
正直、現代のデータセンターでこれをやったら、セキュリティ規約違反で即クビでしょう。しかし当時は、「ルールを守って通信を止める」ことより「ルールを逸脱してでも繋ぎ続ける」ことの方が、未来のために重要だと信じられていた。そんな熱狂的な時代だったのです。
毎年繰り返された、この「隣のビルから電気を繋ぐ」という地道で必死な努力。この執念こそが、黎明期の日本の通信を文字通り物理的に支えていたのです。
【泣ける努力2】「メンテナンス入りまーす」日本的なしきたりが壁に?
技術的な問題だけでなく、人間同士の「外交」でも日本の技術者たちは苦労を強いられました。特に、アメリカの巨大な通信会社との「ピアリング(対等接続)」交渉において、日本独自のしきたりが裏目に出ることがあったのです。
当時の日本企業には「接続する前に、まずは直接顔を合わせて打ち合わせをしましょう」という、ビジネスの慣習が強くありました。しかし、スピードと合理性を重んじる海外勢からすれば、これは「コミュニケーション・ヘビー(負担が重い)」と捉えられてしまいました。
「この本の中で『コミュニケーション・ヘビー』って表現する箇所ありますよね。まずは実際に顔を合わせましょう、みたいな。海外の人からすると、わざわざ日本まで会いに行くのか?ってなっちゃう」
さらに、接続後も「これからメンテナンスに入ります」「終わりました」という丁寧な定型文メールを頻繁に送る行為も、海外の技術者からは「いらないメッセージがいっぱい来る」と敬遠される要因でした。良かれと思ってやっていた日本的な「おもてなし」が、デジタルのスピード感の中では「ノイズ」として扱われていた。この文化の摩擦を解消することも、当時の技術者たちに課せられた重いミッションだったのです。
【泣ける努力3】70年代ディスコに忍者参上!コスプレで掴んだ世界との信頼
そんな「コミュニケーション・ヘビー」で「堅苦しい」イメージを打破するために、日本の技術者たちが取った驚愕の戦略……それが「コスプレ」でした。
世界的なピアリング機関のイベント(GPF)では、直接会って「あそこのIXの評判はどうだ?」といった、書面では決して出てこない生きた情報を交換することが最も重要視されます。そこには技術力と同じくらい、いかに顔を覚えられ、信頼を勝ち取るかという「人間力」が求められました。
あるイベントでは、ドレスコードが「70年代ディスコ風」だったにもかかわらず、日本人の技術者・富山さんはあえて「忍者のコスプレ」で参加しました。
「70年代ディスコ風というテーマだったんですけど、日本人の我々が西洋風の格好をしていっても面白くないなと思ったので、忍者の格好でいきました」
アフロヘアやサイケデリックな格好をした西洋人の中に、突如現れた謎の忍者。「忍忍(にんにん)」スタイルで会場の注目を独占し、圧倒的な存在感を示すことで、彼らは「あの忍者、面白いじゃないか。話を聞いてみよう」と、世界のトップエンジニアたちの懐に飛び込んでいったのです。
ネットワークに関する技術者たちは、文字通り「繋がること」を求められています。最先端の技術を世界と繋ぐために、最後は「身体を張った外交」と「ユーモア」が必要だった。これこそが、ピアリング戦記の真髄と言えるでしょう。
まとめ:これからのインターネットとIXの分散化
この記事をまとめると…
- 日本初のIX(相互接続点)は岩波書店の地下にあり、法定停電時には隣のビルから電気を引いてルーターの稼働を死守した。
- 日本的な「対面重視」や「丁寧すぎる通知」が、海外勢には「コミュニケーション・ヘビー」として敬遠された苦い歴史があった。
- 言葉や文化の壁を突破するため、国際会議に「忍者」の格好で乗り込むといった、技術者の身体を張った外交努力が不可欠だった。
- 技術的なことよりは、そういう「大人の事情」というか人間ドラマがあったからこそ、今のネットは解決し、繋がってきた。

かつての日本のIXは、効率を求めて東京一極集中が進みましたが、東日本大震災以降、それは最大のリスクとなりました。現在は大阪、福岡、広島などへの分散化が進んでいますが、これは単なる技術課題ではなく、日本の安全保障そのものです。
私たちが当たり前に動画を楽しんでいるこの瞬間も、かつて忍者の格好をして世界と交渉し、地下室で電気を守った先人たちの「汗」が流れています。
この記事を読んだ後、スマホのWi-Fiマークが力強く点灯しているのを見たら、かつて地下室で電気を守った人たちのことを少しだけ思い出してあげてください。結局のところ、インターネットを繋いでいるのはケーブルではなく、こうした技術者の「執念」だったわけですから。
配信元情報
番組名:ゆるコンピュータ科学ラジオ
タイトル:【隣のビルから電気引いてた】昭和のネット技術者の泣ける努力3選【ピアリング戦記2】#51
配信日:2022-12-18


