私たちが本の巻末で当たり前のように使っている「索引」。そして、紙の隅に振られた「ページ番号」。
実は、この便利な仕組みが誕生するまでに、人類は紀元前から13世紀まで、およそ2000年もの膨大な時間を費やしたことをご存知でしょうか。
「そんなの、最初から番号を振ればよかっただけじゃないか」
現代に生きる私たちはそう思うかもしれません。しかし、そこには当時の人々にとって、あまりに非常で、ある種「サイコパス的」とも言える発想の飛躍が必要だったのです。この物語は、Google検索が登場する1000年以上前に始まった「検索エンジンの先祖」の物語です。
今回は、聖なるテキストを音読し、魂に刻み込もうとした中世の修道士たちが、いかにして「内容を無視する」という冷徹な合理性に目覚めたのか。情報の海を支配するために人類が捨て去った「人間性」の歴史を紐解きます。
今回の配信内容🎧
- 1200年代以前、なぜ人類には「検索」という概念が一切存在しなかったのか。
- 「蜂の鳴くような読書」を捨て、迷える民衆の質問に即答するために生まれた知略。
- 文脈を容赦なく分断し、物理的な紙を優先する「サイコパス的」なページ数の発明。
- 言葉の魂を抜き取り、単なる記号として並べる「アルファベット順」の衝撃。
- 現代のデータベース設計にも通じる、情報整理における「形式化」の本質。
魂を刻み込む「蜂の鳴くような読書」と、即答への切実なニーズ
13世紀より前の世界において、読書は今とは全く異なる、きわめて神聖で身体的な行為でした。
当時、本は羊の皮をなめして作られた一点ものの「写本」であり、家が一軒建つほど高価な貴重品でした。そのため、本を読むことのできる限られた層――修道士たちは、聖書の一言一句を疎かにせず、小さな声で音読しながらその内容を自らの頭と魂に叩き込んでいました。
この様子は「蜂の鳴くような読書」と形容されます。
彼らにとって、本は「必要な情報を検索するツール」ではなく、一生をかけて向き合う「対話の相手」でした。最初から最後まで順番に読み、そのすべてを記憶することが美徳とされていた時代。そこには「特定の箇所を効率よく探したい」などという軽薄なニーズが入り込む余地などなかったのです。
しかし、1230年頃、歴史を動かす大きな転機が訪れます。
ドミニコ会やフランシスコ会といった新しい修道会が登場し、彼らは都市へ出て民衆への積極的な布教活動を始めました。すると、街の人々から「どうすれば私は救われますか?」「苦しいとき、聖書のどこに答えがありますか?」といった、切実な人生相談が次々と寄せられるようになったのです。
「迷える小羊の質問に答えなきゃいけないという特殊なニーズ」が発生した瞬間でした。
どれほど信心深い修道士であっても、膨大な聖書のすべてを完璧に暗記し、その場で即答することには限界があります。彼らには、自分の記憶力を補完する「外付けの索引」が、生き残るための武器としてどうしても必要になったのです。
「意味」への忠誠を捨てた天才たち。ページ数がもたらした残酷なまでの効率化
索引を機能させるためには、情報の「住所」を特定する仕組みが必要です。そこで登場したのが「ページ数」という概念ですが、この発想は当時の常識からすれば、あまりに非人間的で、ある種サイコパス的な飛躍を含んでいました。
ページ数が発明される前、情報は「第1章」や「創世記」といった「内容の区切り」で管理されていました。これは人間にとって意味のある、思考の流れを尊重した分け方です。
しかし、ページ数は違います。ページ数というシステムは、テキストの内容に対して「容赦ないまでに無関心」です。
「思考の流れを尊重しないばかりか、容赦ないまでに無関心で、文、更には語までもややもすると途中で切ってしまう。そのロケーターが忠誠を誓う相手は、ストーリーでも議論の内容でもなく、本という物質なのだ」
文の途中でページが終わるという事態は、内容を神聖視する人々からすれば不自然極まりない、言葉の死を意味しました。しかし、1230年頃にこの仕組みを思いついたヒューやグロステストといった天才たちは、あえて内容への執着を捨て、「本という物理的な物体」としての座標を優先する決断を下しました。
正直、文の途中でページが終わることに何の違和感も覚えない私たちは、もう既に当時の人々から見れば十分サイコパスなのかもしれません。
また、この発明には物理的な進化も寄与していました。パピルスの「巻物」は、特定の箇所を開くには最初から全部巻き直す必要がありましたが、中世に普及した「冊子(コーデックス)」が、ページをパラパラとめくるというランダムアクセスを物理的に可能にしていたのです。思想とテクノロジーが重なった瞬間、人類は2000年の停滞を脱し、情報を「物理的な座標」で支配する術を手に入れました。
アルファベット順の衝撃:意味から綴りへの移行という狂気
索引を支えるもう一つの柱が「アルファベット順(ソート)」です。現代の私たちにとって、辞書がABC順や五十音順であることは当然ですが、かつての世界では、リストを作る際は「王様が一番上、農民が下」といった社会的序列や、意味の重要度で並べるのが普通でした。
そこにアルファベット順を持ち込むということは、その言葉が持つ神聖な「意味」を一旦殺し、単なる「綴り(スペル)」という無機質な記号として処理することを意味します。
「中身から形式へ、意味から綴りへと移行するのだ」
この「意味を捨てる」という狂気とも言える決断が本格的に始まったのは、古代のアレクサンドリア図書館だと言われています。数十万巻に及ぶ膨大なパピルスを整理するためには、もはや「神聖な順序」や「ジャンル分け」では限界でした。そこで図書館員たちは、人間的な分類を諦め、機械的にアルファベットの順序で並べるという「形式への移行」という苦肉の策を選択したのです。
「アレクサンドリア図書館の図書館員さんありがとう」
今、私たちが辞書を引いて一瞬で目的の言葉にたどり着けるのは、遠い昔に言葉の魂を抜き取り、記号として冷徹に扱い始めた人々の決断のおかげなのです。
一方で、この効率化は「読書の崩壊」でもありました。前後関係を完全に無視し、必要なキーワードだけを摘み取るスタイルは、当時の保守的な学者からは「深い理解を損なう浅はかな読み方」と激しく批判されました。これは、現代の「タイパ(タイムパフォーマンス)至上主義」や「切り抜き動画」への批判と、驚くほど構造が似ています。効率を手に入れるとき、人類は常に何か大切なものを差し出してきたのです。
まとめ
この記事をまとめると…
- 索引は、中世の修道士が民衆の相談に即答するための「実利的な武器」として、13世紀に誕生した。
- ページ数は、テキストの意味や文脈を無視し、物理的な紙を優先する「サイコパス的な合理性」から生まれた。
- アルファベット順のソートは、膨大な情報を管理するために「意味への忠誠」を捨てて「形式」を取った、情報革命の産物である。
- 情報整理の進化には、時に内容への関心を捨て、情報を冷徹な「データ」として捉え直す飛躍が必要不可欠だった。

「意味」よりも「検索性」を優先する。
この現代の検索エンジンやデータベースの根底にある思想は、実は中世の地下室や古代の図書館で、必死に情報の洪水から「答え」を見つけ出そうとした人たちの執念から生まれていました。
データベース設計の基本である「インデックス」。これもまた、人間的な情緒を削ぎ落とした形式化の産物です。情報の海に溺れないためには、時に「内容に深く入り込まない勇気」が必要なのかもしれません。
次にあなたが本のページ番号を目にしたとき、あるいはWebで検索窓に言葉を打ち込んだとき、そこに潜む「冷徹な合理性の歴史」に思いを馳せてみてください。私たちが手にした便利さの裏側には、2000年かけて「人間性の呪縛」を解き放った先人たちの、壮絶なまでの決断が刻まれているのです。
配信元情報
番組名:ゆるコンピュータ科学ラジオ
タイトル:索引の発明者はサイコパス。人間性を捨てることで生まれた大発明【索引の歴史】#121
配信日:2024-04-21

