隣の家へのメールが「アメリカ経由」だった衝撃の理由。日本を繋がせなかった巨大通信事業者の傲慢と、ネット界の“半沢直樹”たち

経済・ビジネス

「昔のインターネットって、なんであんなに遅かったの?」

現代の爆速な5G環境に慣れた世代からそう問われたとき、私たちはつい「回線が細かったから」「PCの性能が低かったから」といった技術的な理由を答えてしまいがちです。しかし、真実はそれだけではありません。実は、1990年代の日本のインターネットには、技術不足という言葉だけでは片付けられない、信じがたい「非効率なルート」が存在していました。

なんと、当時日本国内で隣の家にメールを送ろうとしても、そのデータ(パケット)は一度アメリカを経由して戻ってくるという、とんでもない「太平洋往復旅行」を強いられていたのです。

「1回アメリカを経由して、日本国内同士の通信が行われてたんですよね」

なぜ、そんな奇妙で不条理なことが起きていたのか。その裏側には、インターネットを繋ぐための契約を巡る、まさに『半沢直樹』のような泥臭い人間ドラマと、巨大資本によるパワーゲームがありました。これはITの話であって、ITだけの話ではありません。銀行の合併や企業の提携交渉で起きている「どちらが上か」というメンツの叩き合いが、光ファイバーの中でも起きていたのです。

今回は、ネットの歴史の深淵に刻まれた「ピアリング」という名の戦記を紐解き、私たちが当たり前に動画を楽しめる今の環境がいかにして勝ち取られたのかを解き明かします。

今回の配信内容🎧

  • 国内メールがアメリカ旅行? 黎明期の日本を襲った「非効率ルート」の正体。
  • インターネットは一つの網ではない。無数の「村(AS)」が繋がる集合体。
  • タダで繋ぐか、金を払って屈するか。運命を決める「ピアリング」と「トランジット」。
  • 「やれるもんなら、やってみな!」大和田専務級の門前払いを跳ね除けた先人たちの交渉術。

インターネットは「巨大な一つの網」ではない:無数の“村”が繋がるパズル

私たちが普段「インターネット」と呼んでいるものは、空中に浮かぶ巨大な一つの雲のような存在だと思われがちです。しかし、その実態は全く異なります。実際には、「AS(Autonomous System:自律システム)」と呼ばれる独立したネットワークが、パズルのように組み合わさってできているのです。

「インターネットってでっかいさ、一個のものな感じしません?……これ結構違ってて実は割とセグメント化されてる」

例えるなら、インターネットは「一つの大きな国」ではなく、「無数の独立した村」の集まりです。Googleという村、Netflixという村、NTTやSo-netという日本の村。これらの村同士が「道(回線)」を繋ぎ合うことで、初めて私たちは世界中のサイトにアクセスできます。

かつての日本でネットが異常に遅かったのは、これら「日本の村」同士が、お互いに道を直接繋いでいなかったからです。当時、日本国内のほとんどの事業者が共通して繋がっていたのは、巨大な村である「アメリカ」だけでした。そのため、同じ日本国内の別のプロバイダーのユーザーにデータを送ろうとしても、一度アメリカという遠くの拠点を経由して、そこから日本の別の村へ戻るという歪なルートを通らざるを得なかったのです。

この非効率を解消するためには、国内の事業者同士が直接「道」を繋ぐ合意をしなければなりません。しかし、そこには技術を越えた「大人の事情」という高い壁が立ちはだかっていました。

プロバイダーという「玄関口」と、道を案内する「水先案内人」

ここで、私たちがネットを契約する際に出てくる「プロバイダー(ISP)」の役割を改めて整理しましょう。プロバイダーは、いわばインターネットという世界へ入るための「玄関口」や、未知の土地を案内する「駅の案内所」のような存在です。

私たちが自宅のPCから通信を開始すると、データはまずプロバイダーが管理するルーターへと飛びます。このルーターこそが「水先案内人」であり、「目的地(サイトのサーバー)へ行くには、あっちの道を通ればいいよ」と指示を出します。

黎明期の日本では、この「最初の案内所」同士が国内で手を取り合っていませんでした。ライバル会社同士であったり、あるいは接続するための設備投資を惜しんだりと理由は様々ですが、結果としてルーターは「国内に近道はないから、とりあえずアメリカ行きの大型幹線道路に乗ってくれ」と案内し続けていたのです。太平洋という物理的な距離を往復すれば、当然タイムラグ(遅延)は発生します。今では東京や大阪に「IX(インターネット相互接続点)」という巨大なハブ空港のような場所があり、そこで国内業者が一斉に顔を合わせることでこの遠回りは解消されましたが、そこに辿り着くまでには熾烈な格差社会のドラマがありました。

「ピアリング」と「トランジット」:ネット世界の非情な格差と生存戦略

ネットワーク同士を繋ぐ契約には、大きく分けて2つの種類があります。これを理解すると、インターネットの裏側にあるパワーゲームが生々しく見えてきます。

1. ピアリング(Peering):対等な関係の握手

対等な規模の事業者同士が、「お互いにデータを交換し合えば、ユーザーも喜ぶしメリットがあるから、タダで繋ごうぜ」と合意することです。
ビジネスに例えるなら、同格のチャンネル同士のYouTuberコラボです。お互いの視聴者が行き来して嬉しいから、出演料は発生しません。お互いが自立し、リスペクトし合える関係、それがピアリングです。

2. トランジット(Transit):有料の通行許可

力関係に圧倒的な差がある場合、小さい事業者が大きい事業者にお金を払って「あなたのネットワークを通して、ネット全体へ連れて行ってください」とお願いする契約です。
これは弱小YouTuberが大物にお金を払ってコラボしてもらう「広告案件」や「出演料」のような状態です。「お金を払わないでつなげること、対等だよねって言ってつなげることをピアリングと呼びます」という言葉の裏には、金を払って繋いでもらうトランジットという「格下」の選択肢が常に存在しています。

正直、トランジットは「屈辱」だけではありません。高い金を払えば、ネットの全エリアへ確実にデータを運んでくれるという「品質保証」を買うことでもある。弱小プロバイダーにとっては、自前で全ての道を引く代わりに、最短で世界へ出るための戦略的投資でもあるのです。しかし、自力で道を切り拓こうとする野心的な事業者にとって、ピアリングの拒絶は死活問題でした。

まさに半沢直樹!「大人の事情」が支配する泥臭い交渉の記録

この「繋ぐ・繋がない」の交渉は、決してシステムが自動で最適解を出すわけではありません。そこには驚くほど生々しく、時には理不尽な「人間ドラマ」が介在します。

日本の新興事業者が、アメリカや国内の巨大事業者に「ピアリング(タダで接続)してください」と頼みに行っても、冷たくあしらわれることは日常茶飯事でした。「そんな顧客の数じゃ無理ですよーみたいなね、大和田専務みたいな人がね」という光景が、あちこちの会議室で見られたのです。

巨大業者からすれば、「お前らみたいなちっぽけなネットワークと繋いでも、俺たちには何の得もない。通りたければ金を払え(トランジットにしろ)」というわけです。まさにメンツと規模の叩き合い。さらには、「あそこの会社の担当者はコミュニケーションがだるいから断る」といった、極めて感情的で属人的な理由で通信ルートが左右されることすらありました。実際のところ、エンジニア同士が酒を酌み交わして「お前のところ、いいやつ多いから繋いじゃおうか」なんてノリで重要な接続が決まることも、歴史の裏側では起きていたのです。

インターネットという最先端のテクノロジーの裏側は、実は「誰が誰に頭を下げるか」という、古臭いほど泥臭い大人の戦いによって形作られてきました。


まとめ

この記事をまとめると…

  • 1990年代、日本のネットが遅かった主因は、国内通信が一度アメリカを経由する非効率な「太平洋往復」ルートにあった。
  • インターネットは一つの雲ではなく、「AS」という独立した村(ネットワーク)が繋ぎ合わさった集合体である。
  • 接続交渉には、対等で無料の「ピアリング」と、格下が料金を払う「トランジット」という明確な格差が存在する。
  • 通信のルートは、事業者の規模、メンツ、そして担当者間の人間関係といった、極めて泥臭い「大人の事情」で決まってきた。

私たちが今、指先一つで世界中の動画を快適に見られるのは、回線の進化だけでなく、かつて「アメリカ経由」という屈辱を跳ね除け、対等な接続を勝ち取ってきた先人たちの粘り強い交渉があったからです。

次に自分のスマホのアンテナや、ルーターの点滅を見たとき、その光の点滅の裏で、かつて汗をかきながら「繋いでくれ!」と叫んだ交渉人たちの姿を想像してみてください。私たちが享受している「速さ」は、そんな大人の戦いの勝利の記録なのです。

配信元情報

番組名:ゆるコンピュータ科学ラジオ
タイトル:ネット回線の歴史は半沢直樹。接続を巡る大人の戦い【ピアリング戦記1】#50
配信日:2022-12-11

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